公益財団法人日本交通公社の調査によれば、「今後1~2年の間に行ってみたい国内旅行及び海外旅行の旅行タイプ」の上位5つは、「温泉旅行」(52.0%)、「グルメ」(46.3%)、「自然観光」(45.2%)、「歴史・文化観光」(38.4%)、「テーマパーク」(34.3%)となりました。日本人旅行者はリラックスや癒しを求めて旅行をしていることが分かります。

表1)行ってみたい旅行タイプ
出所)公益財団法人日本交通公社「旅行年報2024」を基に三菱UFJアセットマネジメント作成
調査時期:2024年5~6月 調査対象:全国18~79歳の男女 1,220名
今回の記事でご紹介したい旅行タイプが、先ほどの記事では35位(3.0%)と少数意見となっている “産業”に着目した旅行です。産業と旅行は一見関係ないように思えますが、歴史を振り返れば都市の発展は産業を基盤としており、そのような点にも注目することで新たな旅行の醍醐味を味わえるでしょう。
古代都市の発展と産業の関係
今から数千年前に誕生した四大文明(メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明)はすべて大河のそばで形成されました。この背景には、まず水の供給が挙げられます。大河は農業に必要な水を供給し、安定した食糧供給が確保されました。また上流から運ばれた有機物などの栄養分は川の周りの土壌に蓄積され、集積した人口を支える高い農業生産性を実現することができました。特にエジプトのナイル川は定期的に氾濫し、肥沃な土壌をもたらしてきたことが知られています。川は交易の交通路としても重要でした。物資や人々の移動が容易なため、余剰生産物などを取引する商業が発達しやすかったと考えられます。メソポタミア文明の遺跡では、楔形文字で記された交易の記録が発掘されています。このように産業は都市の成り立ちを考えるうえで重要な要素となります。

エジプトのナイル川流域
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近代都市の発展と産業の関係
近代を見てみると、イギリスのマンチェスターは18世紀から始まった産業革命を経て大きく発展しました。蒸気機関の導入とともに綿織物産業が急速に発展したのです。マンチェスターで綿織物産業が発展したのは、蒸気機関の動力源となる石炭が採掘されるだけでなく、近くの港を通じて原料の綿花を米国から輸入しやすかったことがあります。その結果、紡績工場や倉庫、輸送に用いられる運河が次々と建設されました。これにより労働力が集中し、急速に都市化が進展しました。1801年には約7万人だった人口が1880年代後半には約35万人に達したとされています*1。急速な人口増加により旧市街や工場周辺には労働者が住むスラム街が形成されるなど、劣悪な環境が問題となりました。その一方で、郊外には工場からの煙を避けて資本家や技術者が住む高級住宅街が広がりました。このように産業は都市の立地だけではなく、都市の構造や景観にも影響を与えることがあります。

産業革命当時のマンチェスター
その後のマンチェスターは綿織物産業の衰退等を背景に、1930年代をピークとして人口が減少していきました。しかし、1984年に開設されたサイエンス・パークや学術機関と連携したハイテク産業の振興により再び息を吹き返し、産業革命当時とは違った形で発展を遂げています。当時、工場や倉庫として利用されていたレンガ造りの建物は、原材料や製品の輸送に用いられていた運河とともに現在もその多くが残っています。建物はリノベーションされてカフェやオフィス、住宅として活用され、現代の活気と歴史の面影が融合した独特の都市景観を楽しむことができます。また、マンチェスターの科学産業博物館では、当時使用されていた紡績機や工場の再現を見学でき、産業革命がもたらした技術革新や当時の人々の生活環境について理解を深めることができます。

現在のマンチェスター
続いてイタリアのトリノを取り上げましょう。トリノはもともと古代ローマに起源をもち、街の中心にはトリノ王宮が鎮座する歴史のある都市です。また、1899年にイタリアを代表する自動車メーカー「フィアット」が誕生した街でもあります。これによりトリノは「イタリアのデトロイト」と呼ばれるほど工業都市として発展することとなります。1916年につくられたリンゴット工場は5階建てで、屋上にはテストコースも備える大規模なものでした。自動車関連工場が集積し、トリノには歴史的な建造物が多い中心市街地と工業地帯が共存する独特の景観が生まれました。
1970年代以降、フィアットは経営不振に陥り、リンゴット工場も1982年に閉鎖されます。その後、トリノは産業の多角化をはかりIT産業の推進を行うだけではなく、映画産業や現代アートなどが盛んな文化都市としての側面を強めていきました。使われなくなった工場は商業施設や文化施設として再開発され、都市景観も大きく変化しました。現在では、歴史的な建造物と近代的な都市空間が調和し、市民の憩いの場や観光資源として活用されています。1つの企業の栄枯盛衰が都市の構造や景観に影響を与えることもあるのです。

商業複合施設に改築された旧リンゴット工場
このような都市の例は日本にも存在します。明治政府が推進した殖産興業政策により富岡製糸場が建設された群馬県富岡市や、八幡製鉄所が建設された福岡県北九州市は産業と都市の発展が深く関係している例として挙げられるでしょう。
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産業に着目して旅行をしてみよう
産業に着目した旅行の魅力は、産業によって変化した各国の街並みや産業遺産を実際に見て触れることで、産業の発展が地域社会や人々の暮らしにどのような影響を与え、どのように都市を形作ってきたのかを知ることにあります。また、このような旅行を通じて産業の発展がもたらす負の側面にも目が向き、環境保護や社会問題への関心が深まるかもしれません。都市と産業に触れる旅は、過去から現在、そして未来へと続く人間の営みのダイナミズムを実感できる、知的好奇心を満たす体験といえるでしょう。
産業を切り口に各国を紹介するガイドブックを読むことで、知的好奇心を高め、新たな旅行のスタイルを考えてみるのはいかがでしょうか。
*1 出所)鈴木茂, マンチェスター・サイエンス・パーク―地方工業都市の再生とサイエンス・パーク―, 松山大学論集,2006,18,5,p.61-81