少し前のことだが、友人からこんな相談を受けることがあった。
「へ…?何がおかしいんや?」
「だって資本金3,000万円やぞ。2,500万円も足りへんやんけ」
聞くと彼は、資本金を会社にプールしておく証拠金みたいなもの、と勘違いしている。
しかしいうまでもなく、資本金とは文字通り経営の資本、つまり元手になるお金を指す。
例えば設立時、設備や備品に1,500万円を投じ、仕入れや人件費などの運転資金に1,000万円を充てているのであれば、手元残高は差し引き500万円になる。何もおかしいところなど無い。
財務を少しでも理解している人であれば、おそらく信じがたい話だろう。
しかし彼のように、技術畑でキャリアを積み上げてきたビジネスパーソンであれば、財務リテラシーがこれくらいであることなど何も珍しくもないものだ。
さらに言えば誰だって、専門外のことに関してはこの程度の知識しかない。
その上でも彼が、続けてこんな質問を重ねてきた時には少し危機感を覚えた。
「設立だけなら、25万円も用意して司法書士に依頼すれば誰でもできるぞ。大事なことはそれまでと、その後や」
「それはわかってる。経営計画はだいたい立ててるし、メインバンクをどこにするかもイメージはつけてる」
そして競合分析やマーケット調査もそれなりに終え、自分の強みをどこに置いてビジネスモデルを設計しているかまで、準備を整えているのだと話す。
そのため「その先に何をすれば良いのか」という、いわば応用知識をアドバイスして欲しいということを言った。
加えて、ネットなどで「独立準備」を検索し、できることは全てやっているという趣旨のことも。
さすがにこれは聞き流すことなどできない。
ネットで出てくる「検索上位」のような記事に、本当に大事なことなど書いてあるわけがないからだ。
とりあえず500万円で
話は変わるが、私が30代なかばで独立・起業した時のこと。
国金(現・日本政策金融公庫)に創業融資の申し入れに行くことがあった。
創業を支援し、経営基盤の弱い中小企業などに融資をするなど、産業基盤を支えることを使命にしている政府系の金融機関だ。
融資手続きを進めている時の思いを正直に言うと、本当に甘く考えていた。
申請に必要な書類はざっと、以下のようなものだったからだ。
- 中期経営計画
- 損益計画/各種財務諸表推移の見込み
- キャッシュフロー予測…
数億円単位での資金調達や融資を日常にしていたCFO(最高財務責任者)の私にとって、基本的なペーパーばかりである。
国策の創業融資でもあり、借りられない理由が見当たらない。
「とりあえず、500万円も融資してもらえればいいと思っています」
担当者にそんな軽口を叩きながら書類を申請し、支店を後にした。
その足で、メインバンクにしたいと考えている都心のメガバンクにも足を運ぶ。
そして法人口座の開設依頼書に記入すると、思いもかけない事を言われた。
「いえ、本格稼働は来月からの予定なのでまだ0円です」
「では、会社のWebサイトは?」
「ありますが、事業開始前なので非公開にしています」
「では、公開してから改めて来て下さい。書類はお返しします」
「ちょっと待ってください、Webサイトなど今この場で公開設定にできます。それならOKですか?」
すると女性は奥に行き上席に確認すると、すぐに戻ってきてこう言った。
「事業が軌道に乗ってから、改めて来て下さい」
思いがけない言葉に驚きつつも、やむを得ず支店を後にする。
さらに、近くにある別のメガバンクにも足を運ぶのだが、こちらでも同じようにあしらわれてしまった。
言うまでもないことだが、都心部にあるメガバンクの大店(おおだな)は、大口法人とその関係者向けの支店だ。
中小零細どころか、“来月から本気出す予定です”というような飛び込みの自称社長さんなど、相手にするわけがない。
しかし当時はその程度のことも理解しておらず、口座の開設すらできないことに驚き、頭を抱えた。
やむを得ず、前職で馴染みの地銀に足を運び、法人口座の開設を依頼する。
「あれ?桃野さん独立するんですね、がんばってくださいね!」
担当者はそんな事を言ってすぐに準備をしてくれるのだが、内心、こんな子供じみたバカな言葉が心をよぎっていた。
(都心メガバンクの法人口座が欲しかったな…)
さらに“想定外”の事態は続く。
国金に申し込んだ「わずか500万円程度」の融資の申込みまで、断られてしまった。
書類は完璧なはずなのに、なぜそうなったのか敗因が全く理解できない。
状況を飲み込めない私は、頼れる先輩経営者を飲みに誘うと一連の出来事を説明する。
「経営計画を立てたり、市場調査をしたりでしょうか」
「で、お前にその実行能力があることを国金にどうやって証明した?あと、創業に向けて計画的に資金を用意するとか、客観的にわかりやすいエビデンスは何か用意してたんか?」
「実行能力…これまでのキャリアで十分な証明だと思ってました。創業資金は、半分ほどが身内からの借金です」
「つまり客観的には、お前は行き当たりばったりの勘違い経営者モドキってことか。お前が国金の担当者なら、金貸すんか?」
「…」
そして、経営トップとして築いたわけではないこれまでのキャリアなど、何の信用にも値しないこと。
その経験から作った書類など、銀行目線では作文の上手な小学生レベルでしかないこと。
加えて、都銀で断られたことも、馴染みの地銀で口座開設をしてもらえたことも幸運であったというような説教まで喰らう。
「はい」
「それから個人口座、家族口座を含めて全て、その地銀に移し替えろ。クレカもその銀行で作ってそこから引き落とせ。金の流れを全部見せるという意味や。やればわかる」
結論からいうと、これら教えは驚くほどに効果を発揮した。
地銀の紹介で教えてもらった自治体主催の創業セミナーに参加し、全8回を「卒業」すると信用保証協会に斡旋してもらい、あっけないほど簡単に500万円の融資を受けられることになる。
さらに、一度は断られた国金の融資も程なくしてOKとなり、資金不足は一気に解決した。
何のことはない、私のCFOとしてのキャリアなど
「なにそれ、凄いの?」
と全く評価されなかったのに、地方自治体の創業セミナーを卒業した途端に、
「経営能力あり」
と判断されたということだ。
そのセミナーの中身に、知らないことなど何一つ無かったにもかかわらずである。
そしてこれこそが、「客観的な信用のカタチ」というものだ。
さらに売上が上がると、銀行の担当者から顧客の紹介を受け、必要な運転資金のオファーをもらうなど、手取り足取り助けてもらえることになる。
そんなある日、支店長と話している時にこんな質問をしたことがある。
「担当者は社長さんの法人・個人全て、お金の流れを見ています。私でも、支店全口座の50万円以上の資金移動は毎日、必ずみています」
そのようにして、支援すべき相手かどうかを峻別しているのだと教えてくれた。
改めて、あの時の先輩経営者の教えに、心から感謝した出来事になった。
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“こうすればうまくいく”のか
話は冒頭の、「準備万端に起業準備をしている」友人についてだ。
私はこの経験を、ありのまま彼に伝えた。
「俺がこの話で伝えたいのは、『うまくいく方法』を調べて、うまくいくと思うな、ということや」
「…」
「むしろ失敗した話を一つでも多く聞け。一人でも多くの創業経営者に会って、生の声を聞くことを考えろ。成功に汎用性は無いけど、失敗には必然性がある。ネット上にリアリティのあるそういう話、あるか?」
「…余り見掛けんと思う」
「当然や。自分の失敗談をカッコつけずに話せる経営者なんて、そうおらんからな。でも、その情報こそが大事やねん。俺の失敗話だけでも、金が欲しいくらいや」
「わかった。少し考えてみる」
その後、彼はまだ独立していないが、きっと本当の意味で用意周到に、独立を果たすと確信している。
改めて思うことは、“こうすればうまくいく”などというネット上の記事になど、何の価値もないということだ。
ありふれている上に、体温を感じるような体験談を“検索上位”で見ることなどない。
銀行と、その担当者との「本質的に価値ある付き合い方」すら引き出せない、”ネット検索上位”から、得られるものは少ない。
独立を考えているようなビジネスパーソンには、リアルの世界に足を運び、信頼できる情報を肌感覚で集められるリテラシーが求められていると信じている。
桃野泰徳
大和証券を経て、中堅メーカーなどでCFOやTAMを歴任し独立。近現代史や経営論を中心に、朝日新聞GLOBE+、経済誌などで連載中。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など