株式投資の歴史を学ぼう!株式会社はいつ生まれた?投資信託の仕組みができた理由は?

株式投資の歴史を学ぼう!株式会社はいつ生まれた?投資信託の仕組みができた理由は?

現代社会において株式会社は広く一般的な企業形態で、資産運用として株式を保有している人も少なくありません。
そんな株式投資ですが、その始まりは意外にも17世紀までさかのぼります。
本記事では、株式投資がどのような経緯で生まれ、世界中に広まり、日本にも上陸したのかを詳しく解説していきます。
株式投資の歴史を学んで、経済の仕組みについての理解を深めていきましょう。

株式会社の仕組み

株式会社は、多くの人から資金提供を受け、集めた資金を使って事業を行う仕組みです。
この仕組みを活用することで、企業はまとまった資金が必要となるような大規模な事業を行うことができるようになります。

一方、資金提供者には出資額の割合に応じて株式が発行され、株主としての権利を持つことになります。
株式会社の事業によって利益が生じた場合に、その利益の分配を受け取る権利があります。
また、上場企業の株式は市場を通じて売買することができるので、株価の上昇によって利益を得ることもできます。
ただし、株式会社の経営がうまくいかなかった場合等には、利益の分配を受けることはできません。仮に倒産するようなことになると、出資額を上限に損失を出してしまうリスクもある点には、注意しておく必要があります。

出所)三菱UFJモルガン・スタンレー証券「株式投資のはじめ方

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世界における株式会社の誕生と普及

このような株式の仕組みは今や世界中に普及していますが、その歴史は意外と古いものです。
ここからは株式会社が誕生した時代までさかのぼり、株式が世界中に普及していった歴史を紹介していきます。

株式会社の起源は1602年

株式会社という仕組みが生まれたのは、いわゆる「大航海時代」と呼ばれる時代です。*1
大航海時代には、ヨーロッパから海路でインド・アジアに渡り、香辛料などの貿易が盛んに行われていました。
海路で行う貿易には船の建造や船員の確保など莫大な費用がかかりますが、高価な香辛料をたくさん持ち帰れば大きな利益を出すことができます。
そのため、航海に出る前に出資を募って資金を集め、航海から帰ってくると、収益を出資者に分配して清算するという形が取られるようになりました。

ただ、この資金集めや収益の分配は1回の航海ごとに完結しており、現代における会社とは少し異なる形態でした。
嵐に遭って難破したり、海賊に襲われたりと危険が多い時代において、この方法では出資者が損失を被るリスクが少なくありません。

そんな中、1602年に設立されたオランダ東インド会社では、1回の航海ごとに清算するのではなく、今後行う全ての航海に対して出資を募るという、永続性のある事業形態を取りました。
仮に航海が一度失敗しても、次の航海がうまくいけば損失をカバーできるため、出資者のリスクが少なくなったためです。

こういった特徴を持つオランダ東インド会社は、株式会社の要件を満たした最初の基本モデルとされています。

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株式会社の仕組みが普及した理由

オランダ東インド会社では、出資者全員の有限責任制が取られていたことも特徴のひとつです。
有限責任制とは出資者が出資した金額を超える責任を負わないとする制度で、株主のリスクが限定され、出資しやすい環境が整っていきます。*1

その他には、オランダ東インド会社では資本が株式という形で証券化され、自由に売買できるという特徴もありました。
つまり、出資者は出資した資金をいつでもその株式を売却することで回収することができ、また株式の価格が上がれば利益を出すこともできるようになりました。

このように株主の権利が守られる制度が整っていることを背景に、株式会社は広く普及していくことになります。
オランダ東インド会社以外にも同様の形態を取る株式会社が誕生していくと、株式の売買も活発に行われるようになっていきました。

世界に広がる証券取引所

株式会社が誕生したことで、株式を円滑に取引するための取引所が必要となります。
オランダ東インド会社の株式を売買するために、オランダではアムステルダム証券取引所が開設されました。

オランダ以外にも、株式会社の普及とともに世界各国で証券取引所が開設されていきます。
英国では、1773年に売買の仲介者が集まるコーヒーショップにおいて、現在のロンドン証券取引所の原型となる証券取引所が生まれます。*1

また、アメリカでは1817年にニューヨーク証券取引所が開設されました。
日本でも1878年に、東京において東京証券取引所の前身となる東京株式取引所が、大阪において大阪証券取引所の前身となる大阪株式取引所が、それぞれ開設されました。*1

日本における株式会社の誕生と普及

日本における最初の株式会社は諸説ありますが、1873年に設立された第一国立銀行と言われています。*2
日本において証券取引所が開設された後、初めに上場されたのは4銘柄だけでしたが、1880年代になると取引が活発化していきます。*1

1914年に第一次世界大戦が始まると、日本経済は海外需要の急増によって輸出が増加し、急速に成長していきました。*3
日本の証券市場も活況を呈しますが、1929年には世界恐慌により暴落も経験することになります。*4

太平洋戦争が始まると、1943年には全国11の株式取引所が国策として統合され、日本証券取引所が設立されました。*4
戦争中も取引は続けられていましたが、戦況が悪化する中で活気を失っていき、広島と長崎に原爆が投下されたことで1945年8月10日に市場は停止し、戦後取引が再開されるまで3年9か月にわたって市場は閉鎖がされていました。*4

その後、日本証券取引所は解散し、1949年に東京証券取引所と大阪証券取引所が設立され、市場での売買が再開しました。*4
こういった大きな荒波を乗り越えて、戦後復興とともに証券市場は大きく成長して現代に至ります。

現代においては、日本の証券市場はグローバル化を目指して制度改革が進み、また、情報技術も急速に進化しています。
今では個人であっても情報端末を使ってインターネットを通じ、日本から世界中に投資ができる環境が整っています。

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投資信託の始まり

投資信託は、投資家から集めた資金をプロの運用担当者が株式や債券などに投資し、運用益を生み出すことを目指す金融商品です。
投資家は信託報酬を支払って自身の資金の運用を任せ、運用がうまくいった場合には売買利益や分配を受けることになります。一方で運用がうまくいかなかった場合には損失となります。

一般的に世界で最初の投資信託は、1868年に設立された「フォーリン・アンド・コロニアル・ガバメント・トラスト」とされています。*5
当時の英国では海外投資が盛んでしたが、海外の投資対象についての情報が少ないという事情がありました。
そこで、海外の事情に詳しい人に報酬を支払って運用を任せるという、投資信託の仕組みが生み出されました。

この投資信託の仕組みは米国に導入され発展していき、やがて日本にも取り入れられていきます。
現代の私たちは、個別の株式や債券に投資するだけでなく、運用のプロフェッショナルがさまざまな投資先に分散投資を行ってくれることによって、投資信託を通じて投資の成果を享受できる環境にいます。

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まとめ:投資の本質を正しく理解しよう

今回は、株式会社の誕生と普及をテーマに、大航海時代からの歴史を紹介しました。
現代と大航海時代は大きく異なりますが、株式会社という仕組みの根底にある考え方や目的は変わっていません。

お金を集めて事業を行い、利益を出資者に還元するという基本的な仕組みは、時代を超えて続いています。
この投資の本質を正しく理解して、ご自身に合った資産運用を進めていくようにしましょう

【投資をご検討いただくにあたって】
・投資は収益期待がある一方で、値下がり・元本割れの可能性もあり、その損益はすべてお客さまに帰属します。したがって、お客さまの状況等によっては、資金使途に照らして必ずしも投資が適した選択肢となるわけではない点にご留意ください。
・投資はお客さま自身の判断と責任で行っていただく必要があり、投資知識や投資対象商品への理解に不安がある場合は投資をお控えください。また、投資の判断の基礎となる投資方針については、一般的に、資金使途や投資期間、経済状況やリスク許容度等を総合的に勘案した上で、適宜見直しを行うことが望ましいとされています。

*1 出所)三菱UFJモルガン・スタンレー証券「証券ビジネスの世界史

*2 出所)なるほど!東証経済教室「株式市場の歴史Q&A 」明治期 Q2 Q3

*3 出所)国税庁「大戦景気と『成金税』(答え)

*4 出所)日本取引所グループ「株式取引所開設140周年 / 沿革」大正~昭和初期 世界恐慌と世界大戦

*5 出所)Columbia Threadneedle Investments「F&C INVESTMENT TRUST

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