日本型の「終身雇用」はいつから始まった?働き方の歴史と未来の姿とは

日本型の「終身雇用」はいつから始まった?働き方の歴史と未来の姿とは

崩壊しつつあると言われている終身雇用制度ですが、これは日本で独自の発展を遂げた雇用制度といってもよいでしょう。
しかし歴史をたどれば、実はこのような制度は昔からあったわけではありません。歴史を経て社会や産業構造が変化するなかで生まれた習慣です。

では終身雇用はいつ頃から始まったのでしょうか。また、どのようにして始まったのでしょうか。そこで本記事では、本当に役割を終えつつあるのか、そして新しい働き方とはどのようなものであるかを考えるため、その過去と未来を見ていきます。

江戸時代の働き方

終身雇用ということについては明確な定義はありませんが、定年まで長期雇用するという形式で、多くは年功序列を伴っています。

江戸時代は、農業を除けば都市部の就業者の多くは雑業で日雇いや店舗を持たない商いに従事していました。その日暮らしの人も多かったと言えるでしょう。

ただ、一部の業種に長期雇用の萌芽も見られます。
商家の大店(おおだな)に仕える人たちです。

当時、上方の大店商家では、丁稚、組頭役、手代、支配人などの昇進コースに基づいて、厳しい身分制が敷かれていました。こうした内部昇進や出世が存在するという意味では、長期雇用の起源が見られると言えます。

しかし、長期雇用されることは簡単ではなかったようです。
例えば大店のひとつである三井越後屋の場合、享保7~8年(1722~1723)に入店した子ども(13~14歳)は49人でしたが、そのうち役付けの手代(支配人クラス)に昇進したのは6人でした。*1

それだけではありません。役無しのままでも長く勤められるかというとそうではなく、勤続15年たっても役に就けない奉公人は、状況次第では解雇の対象になるという厳しい側面も存在しています。

職人の世界にも、長期雇用の原型が見られます。例えば大工の頭領に弟子入りすると、7~8年は衣食住と小遣いが支給される年季奉公があり、その後1年のお礼奉公(給金なし)を経て、晴れて弟子として独立、職人と呼ばれるようになりました。*2さらに修行を続ける場合、また7~8年をより格上の頭領に弟子入りしていました。

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明治時代〜会社組織の明確化

そして明治時代に入ると、急速な近代化・工業化が始まります。会社という組織の形も明確になり、人事部門と生産部門で働き方が異なります。人事マネジメント側は内部昇進を伴う長期雇用の奉公人であったのに対し、生産現場では、親方が職人の現場労働者を需要動向や季節によって調達し、管理するというものになりました。長期雇用は、官吏や一部の大店、工場以外にはなく、不安定な就業者は多いままでした。

大正〜昭和初期には年功序列のホワイトカラーが誕生しました。そして生産現場では1911年の広報法制定以降、労務者は5年、商工業の見習いは10年の契約期間の定めがありましたが、どちらかというとその期間「拘束できる」という色合いが濃かったようです。*3また、当時は「女工」として女性がメインで働く紡績工場の環境は悪く、それを改善する目的もあったようです(図1)。

図1 工場法についての大阪朝日新聞の社説

出所)神戸大学経済経営研究所「新聞記事文庫・大阪朝日新聞 大正元年11月17日 労働者保護(1-005)

上の記事では、

最近の帝国死因統計の職業別に拠れば、結核病の死亡者中、約三割五分は紡績職工、而して塵埃の発生する其他の工場職工の同病死亡者は驚くべし其の約五割に当れり。

と伝えられています。そのために工場法の施行は急務だと説いています。

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戦後から本格化する終身雇用

そして終身雇用制は戦中・戦後に本格的に普及していきます。国立公文書館によると、もともと戦前の日本は労働者の移動が激しい社会で、特に工場で働く労働者は熟練工になるとすぐに、より給料の高い職場へ転職していたといいます。*4そして日中戦争が始まると、働き盛りの男性が徴兵されたり、軍需産業が増産を迫られたりしたことで深刻な人手不足が生じました。そこで、国が労働者の配置・動員を管理するようになったのです。1942年には「従業者雇入制限令」が出され、軍需産業に関わる労働者の転職には国の許可が必要になりました(図2、3)。

図2、3 従業者雇入制限令

出所)国立公文書館「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022347300、御署名原本・昭和十四年・勅令第一二六号・従業者雇入制限令

その後、日米開戦が近づくと労働者に関する統制は厳しくなり、労働者の自由な転職や解雇が全面禁止されたほか、「賃金統制令」によって軍需産業の賃金も国によって統制されるようになります。年1回の定期昇給や退職金の支給も半義務化されます。現在の終身雇用の原型といえるでしょう。

そして戦後、GHQの方針により日本の企業が再編され、現在の労働三法が制定されます。
戦後の混乱・貧困にあった労働者がまず生活の安定を求めるようになったこと、そしてその後の高度経済成長を背景に現代のような年功序列、終身雇用が定着していきました。人手不足を背景に、昇給や長期雇用というインセンティブが設定されたとも言えるでしょう。

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未来の働き方はどうなる?

さて現在は、フリーランスや副業者、ギグワーカーといった多様な働き方が出現しています。IT技術がこれらを後押ししています。また、新型コロナウイルスの流行でテレワークが増え、さらに働き方は多様化しています。

厚生労働省は「2035年の働き方」として、以下のようなものを挙げています。

  1. 空間や時間にしばられない働き方に
    =もちろん、工場での作業のように実際にその作業現場に人がいなければならないケースもあるだろう。しかし、そのような物理的な作業の大半は 2035 年までにはロボットがこなすようになっているに違いない。

    (中略)

    2035 年には、各個人が、自分の意思で働く場所と時間を選べる時代、自分のライフスタイルが自分で選べる時代に変化している事こそが重要である。
  2. より充実感がもてる働き方に
    =2035 年には、「働く」という活動が、単にお金を得るためではなく、社会への貢献や、周りの人との助け合いや地域との共生、自己の充実感など、多様な目的をもって行動することも包摂する社会になっている。
  3. 自由な働き方の増加が企業組織も変える
    =2035 年の企業は、極端にいえば、ミッションや目的が明確なプロジェクトの塊となり、多くの人は、プロジェクト期間内はその企業に所属するが、プロジェクトが終了するとともに、別の企業に所属するという形で、人が事業内容の変化に合わせて、柔軟に企業の内外を移動する形になっていく。その結果、企業組織の内と外との垣根は曖昧になり、企業組織が人を抱え込む「正社員」のようなスタイルは変化を迫られる。
  4. 働く人が働くスタイルを選択する
    =働き方の選択が自由になることで、働く時間をすべて一つのプロジェクトに使う必要はなくなる。複数のプロジェクトに時間を割り振るということも当然出てくる。(中略)その結果、個人事業主と従業員との境がますます曖昧になっていく。組織に所属することの意味が今とは変わり、複数の組織に多層的に所属することも出てくる。
  5. 働く人と企業の関係
    =企業の多様化が進むなかで、一部の大企業はロイヤリティを有した組織運営を継続していくだろう。しかし、これまでのように企業規模が大きいことのみでは働く人のニーズを満たすことはできず、働く人にどれだけのチャンスや自己実現の場を与えるかが評価されるようになる。

出所)厚生労働省「『働き方の未来2035』報告書」p8-11

産業構造の変化が人々の働き方や雇用形態に変化をもたらしてきたように、将来は今とは全く違う社会になっているかもしれません。

*1 出所)三井広報委員会「三井越後屋の奉公人

*2,3 出所)リクルート「正社員時代の終焉」p2-3

*4 出所)国立公文書館 アジア歴史資料センター「終身雇用はいつからあるの?

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