人生で真に有用な能力は、カネを作る能力ではなく、「手元にあるもので楽しむ能力」

人生で真に有用な能力は、カネを作る能力ではなく、「手元にあるもので楽しむ能力」

最近、ある漫画にはまっています。
タイトルは、「こづかい万歳」

Twitter界隈ではそこそこ話題になっているので、読んだことのある方もいるかもしれません。

漫画のストーリーとしては非常にシンプル。
一話読み切り。
「こづかい制」の人々を取り上げ、その使い途について聞いていく、という組み立てです。

それだけであれば、「何が面白いの?」という話になるでしょう。
確かにその通りです。
おっさん達のこづかいの使い道など興味はない方が大半でしょう。

ところがこれが極めて面白いのです。

その主要因は、登場人物は軒並み、こづかいが少ないことです。

主人公が月額2万1千円、その知人は2万円、主人公の妻が7千円、ご近所さんが2万円、旧友が1万5千円、もはや「こづかい」の話ではないですが、最新話ではついに、「こづかいゼロ円」の猛者まで登場しました。

ところが、その少ないこづかいをつかって、登場人物は実にみな、工夫して楽しんでいるのです。ハッピー。

ある人は「駅で立ち飲み」、ある人は「ポイントカード」、あるひとは「自炊」。
むしろ「制限があるから楽しめる」という人もいるくらい、ゲーム感覚で「こづかい」を楽しんでいます。

純粋に、いやー、見ていて何か幸せになっちゃうな、という感想です。

私はこの漫画を見て、最初に思い出したのは「孤独のグルメ」という漫画でした。
これはテレビでも放映していたので、ご存じの方は多いでしょう。

しかし、漫画版の孤独のグルメの面白さの本質は、ドラマで描かれたような「食べ物がうまそう」ではなく、ちょっと変わった主人公の独白にあります。

「こういうのでいいんだよ」とか
「このどこか野暮ったい味って……いい意味で取り残された渋谷のようだ」とか。
「こういうの好きだなシンプルで」とか。

いろいろと注文を失敗するときもあったり、目当てのものがなかったりするのですが、そういう割には、主人公は飄々と状況を楽しんでいます。

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ちょっとしたことに、幸せを感じる能力

彼らの共通点は、「ちょっとしたことに、幸せを感じる能力」だと思うのです。

若いころは、ヒーローや偉人に憧れたり、でかいことをやってやろう、と思って力んだりすることもたくさんありました。

しかし、40歳を過ぎ、自分が平凡であることを認識しだすと、逆に「些細な出来事」
に対して、幸せを感じやすくなった
ことに気づきました。

だから、彼らにとても共感してしまう。

私は家も車も買っていないですし、服も基本的にユニクロです。
最近では外出もしなくなってしまったので、外食もほとんどせず、基本的に全部「自炊」で全く不満がない。

若いころは背伸びをして、高い外食をしたこともありましたが、誘われたときはともかく、今はまったく、自分からそういうことをしたいという欲求はありません。

家で絵をかいたり、Youtubeを見たり、コーヒーを淹れたり、フォートナイトをやったり、こうして文章を書いているだけで、それなりに幸せなのです。


これは、個人的には結構重要なことだと思っていまして、
「お金」は、幸せにとって決定的な要素ではない、と強く思うことができるのです。

どちらかというと、友人関係や、趣味など自分が没頭できることを持っているほうがはるかにインパクトがあるでしょう。

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こづかい万歳に対する「辛くて見てられない」という感想

ところがです。
Twitterなどを見ると、「こづかい万歳」に対して、少なくない人々が「辛くてみてられない」という感想を漏らしているのです。

「ディストピア感ある」
「涙が出てきた」
「こづかい万歳はホラー」
「切ない」
「胸が苦しくなる」

これは私にとって、結構な衝撃でした。
「幸せで、楽しそうな人々」が逆に「辛さ」を読者に与えているのです。

もちろん一方で、

「めちゃくちゃ面白い」
「参考になる」
「いい話」
「家族愛だ」

という感想があるのは事実です。

しかし、ある意味対極にある「辛い」という感想。
この源泉はいったい何なのか、私は非常に不思議でした。

ところが、ある日web上で、著者の吉本浩二さんの記事を見たときに、はたと気づいたのです。


1カ月2万1000円の“こづかい制”でやりくりする作者の悲哀描いた『こづかい万歳』が共感集める 作者に聞いた「小さな幸せ」を見つけるコツ


吉本浩二さん(以下、吉本):正直、そんなに暗い気持ちになるとは思っていなくて。もちろんうらやましがられるとも思っていないんですけど、ちょっと苦笑いしてもらえればいいなくらいだったんです。それがなんか、重たい感じの感想があったりするんで、意外でした。自分のことを言いたくなる作品なんだなと。自分はこういう生活をしているとか、自分はこうだって言いやすいマンガだということがわかりました。


気づきがあったのは、「自分のことを言いたくなる作品なんだな」という吉本浩二さんの言葉です。

私は、漫画の幸せそうな人々についてコメントをしていると思っていたのですが、実はそうではない。
彼らは、「自分のことを言っている」のです。

「(自分の)こづかいが少ないのでディストピア」
「(自分の状況に)涙が出てきた」

という具合です。

つまり、カネがないと幸せにはなれない、そういう資本主義の感覚に絡め取られてしまうと、「こづかい万歳」の登場人物を見て、むしろ自分の状況まで悲惨だと「感じてしまっている」のです。


しかし、実際にはカネはそれほど重要ではない

「こづかい万歳」の登場人物のように、カネはなくても、友人を作ることはできますし、金がかからない趣味はいくらでもある。
吉本さんは、「おこづかいが少なくなってからの方が楽しくなった」と言い切ってもいます。

もちろん、「お金がなくて不幸」と感じている人に対して、「カネなんか無くても幸福になれるぞ!」と矯正することはできませんし、すべきでもない。
余計なお世話ですし、そう言うと怒る人も数多くいるでしょう。

「貧困を我慢しろって言うのか!」と。

無論、貧困の解決は別問題として必要ですし、現在の状況に満足すべき、なんてことはないと思います。


ただ、私は思うのです。
「幸福というのは、ひたすら相対的なものなのだなあ」と。

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「面白さをみつける」能力

ところで、「こづかい万歳」著者の吉本浩二さんは、「できるだけお金を使わないで日々を楽しむ方法があれば教えてください。」という質問に対して、「なんでも面白がることなんだろうなって最近思うようになりました。」と答えています。

その「面白さを見つける能力」。
実は大変なパワーを持っています。

例えば、「フロー理論」で知られる、ミハイ・チクセントミハイは、その著書「フロー体験 喜びの現象学」の中で、面白さを見つける能力に長けた人物を紹介しています。

その人物は、鉄道車両を組み立てる南シカゴの工場で働く、「ジョー」と呼ばれる六十代の溶接工。

彼の職場はひどい状態でした。

夏は猛暑、冬は過酷な寒さ。騒音もひどい。
そして、彼は昇進の誘いをすべて断り、工場の階層の最低のところにとどまっていました。

しかしジョーはその仕事すべてをとても楽しんでいました。
正規の訓練は受けておらず、学歴も小学校までしかない彼でしたが、彼は発見の魅力にとりつかれ、工場の機械を探求していました。

結果として、誰もがジョーを知っていて重要な人物だと感じていました。
彼は工場のすべての操業過程を理解し故障した機械類はすべて修理できたからです。

彼はまた、自宅ではDIYに熱中し、庭のスプリンクラーの改造に勤しみ、夜中でもライトアップした自宅で虹が見えるように、様々な工夫を施していました……

私は数多くの職場を見てきましたが、確かにどんな職場であっても、少なくない人々が、「ジョー」のように、楽しげに振る舞うのを見ています。

同じように、おそらく「こづかい万歳」に出てくる人物たちは、皆多かれ少なかれ、「ジョー」の特性を備えているのでしょう。

そう言う意味では、真に有用な能力は、カネを作る能力ではなく、「手元にあるもので楽しむ能力」だと、私は思うのです。

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