農作物を環境の変化に強くしたり、特別な性質を持たせたりして合理的に生産するための手段には、「品種改良」「遺伝子組換え」「ゲノム編集」といった技術があります。
それぞれにメリットやデメリットが指摘されていますが、「ゲノム編集」を中心にした「生物デザイン」には大きな期待がかかっています。
農作物に限らず広く応用されていて、今後巨大な市場を獲得する見込みです。
一体どのようなビジネスなのでしょうか。
「品種改良」「遺伝子組換え」の違いは?
農作物を暑さに強いものにしたり、病気になりにくくするためには、何らかの形で遺伝情報を変える方法が取られています。
その最初の技術は、いわゆる「品種改良」です(図1)。
図1 交配による品種改良(出所:「市民参加型展示ほ場」農業生物資源研究所)
「品種改良」は、それぞれに良いところを持つ2つの品種を受粉によって掛け合わせるものです。
そして生まれた子世代の作物から条件に近いものを選び出し、再び親世代と掛け合わせることを何世代も繰り返します。
こうして理想の遺伝子を持つ作物に近づけていくという方法で、古くから行われています。
これに対し遺伝子組換えの技術は、作物の遺伝子をあるところで切断して、そこに欲しい機能を持った遺伝子を組み入れるというものです(図2)。
生体機能はいろいろな種類のタンパク質が担っていますから、特定のタンパク質を生み出す遺伝子を挿入する作業ともいえます。
図2 遺伝子組み替えのイメージ(出所:「遺伝子組換え農作物の現状について」農林水産省資料 p8)
遺伝情報を変える、元の種にない遺伝子を取り入れるという意味では品種改良と同じように感じるかもしれませんが、決定的な違いがあります。
品種改良は、あくまで近い種どうしの掛け合わせです。
トマトならトマトどうし、イネならイネどうしを交配するもので、花粉が飛んで新しい性質を持つ品種が生まれるという自然界でも起きうることを人工的に再現しています。
一方で遺伝子組換えは、全く違う生物の遺伝子を持ち込むこともできるという特徴があります。
実際、「除草剤に強い植物」を作る方法の代表的なものとして「アグロバクテリウム法」というものがありますが、他の生物の力を利用しています(図3)。
図3 アグロバクテリウム法による遺伝子組換えの例
(出所:「遺伝子組換え農作物の現状について」農林水産省資料 p9)
アグロバクテリウム法は、文字通りアグロバクテリウムという細菌を介して欲しい遺伝子を植物のなかに組み込む技術です。
アグロバクテリウムはプラスミドというDNAを植物の細胞内に送り込むことで植物の遺伝情報を変える、という性質を持っています。
そこで、アグロバクテリウムのプラスミドを取り出し、そこに別の生物から取ってきた有用遺伝子を繋ぎます。
そしてアグロバクテリウムの体内に戻して植物に感染させることで、繋いだ遺伝子を細菌の遺伝子と一緒に植物に取り込ませてしまうのです。
このような方法を使えば、例えばウシやブタといった動物の遺伝子をイネなどの植物に組み込んだり、人にとって有害な細菌などの遺伝子を農作物に組み込んだりすることが可能になってしまいます。
通常の品種改良のように何世代も待たなくて良いというメリットが強調される一方で、このように自然界では起こり得ない操作をしていることが遺伝子組換え作物の問題点になっています。
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「ゲノム編集」が期待される理由
そして近年注目されているのが「ゲノム編集」の技術です。
すでに開発されている食品としては、血圧を下げる効果が期待される「GABA」を多く含むトマト、筋肉量を増やしたタイ、毒素を含まないジャガイモといったものがあります。
ゲノム編集と遺伝子組換えの違いは、狙った遺伝子の操作をするものの、他の種から遺伝子を持ち込むわけではないという点です。
ゲノム編集は、具体的にはこのような技術です。
図4 ゲノム編集のイメージ(出所:「あなたの疑問に答えます」農林水産省)
まずひとつが、DNAを切る方法です(図4)。
DNAの遺伝情報は4種類の塩基(A、C、G、T)の並びで表現されています。
ここで特定の場所の遺伝子の一部を切断すると、生物は自然の力によって切断部分を修復しようとします。
その際、塩基の並び順を元通りに修復できることもあれば、図4のように修復に失敗することもあります。
どうなるかは自然の成り行きですが、都合の良い修復ミスをしたものを選抜して育てていくというのがゲノム編集のやり方です。
また、「切らないゲノム編集」として、塩基の並び順を直接好きなように変更する方法も開発されています*1。
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ゲノム編集技術が切り拓く「スマートセルインダストリー」
食品への応用は様々な許認可制度の枠組みが必要とされますが、それ以外の分野ではゲノム編集技術が持つ可能性は、一定の評価を受けていると言えるでしょう。
ゲノム編集技術が可能にする「スマートセル」の作成を商業化する動きが世界中で見られています。
スマートセルを使った産業というのは、下のようなものです(図5)。
図5 スマートセルプロジェクトの概略(出所:「スマートセル創出プラットフォームの構築と実証」NEDO p2)
植物などの細胞はDNAの遺伝情報どおりにタンパク質を製造します。
さらにそのタンパク質が体内で特定の物質を作っていく、というのが生体反応です。
この性質を利用して、欲しい物質を作る遺伝子を大量に植物などの細胞に組み込み、細胞を物質生産の工場にしてしまおうというのがスマートセルの考え方です。
こうしたスマートセルインダストリー(生物による物質生産)は、すでに身近なところで市場を広げています。
ひとつは、調味料用のアミノ酸や洗剤用の酵素、ビタミンなどといった「高機能品」と呼ばれる物質で、2013年の時点ですでに2.5兆円の市場に成長しています*2。
また、石油由来の資源に置き換わる工業用の物質生産が近年、急拡大しています。
植物や細菌などが生み出す高分子「バイオベースポリマー」はプラスチックの原料になる物質です。
いわゆる「バイオプラスチック」の原料で、2013年の世界での生産量は510万トン(100億ユーロ)でしたが、2020年には1700万トンにまで拡大する見込みです*3。
環境問題対策として石油製プラスチックの利用削減が進むなか、欧米ではこうした生物由来のポリマーに置き換わる動きが加速しています。
バイオベースポリマーで作ったプラスチックは自然で分解されやすいという性質もあり積極利用されていますが、そうでなくても、生物で有用物質を作ることのメリットはあります。
現在の化学製品の製造プロセスは、原材料に石油を必要とするだけでなく、高温・高圧の状態を必要としたり、複雑な構造をした物質生産にはあまり向かないといった特徴があります。
これに対し、スマートセルでの物質生産は、原材料は自然界に存在する生物である上、遺伝子さえ完璧にデザインされれば、「植物を栽培するだけで良い」ともいえます(図6)。
図6 石油化学工業とスマートセルインダストリーの比較
(出所:「スマートセルインダストリーの可能性」経済産業省資料 p6)
資源を枯渇させることなく、かつ遺伝子のデザインという小さな実験室で新しい物質を開発できるという素材生産のあり方は、まさに「スマート」なものであると言えるでしょう。
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まとめ
スマートセルインダストリーを成立させるためには、高度で緻密な遺伝子情報の管理、組み合わせが必要になる上、栽培環境の厳密な分析なども必要になります。
ここで、ITやAIといった最先端の技術を投入しようという機運も高まっています。
こうした周辺市場も含めて、バイオテクノロジーを利用した産業は今後さらに拡大すると見込まれています。
2030年には、この分野はOECD加盟国で約200兆円、加盟国の全GDPの2.7%にあたる規模に成長するとも推計されています*4。
農業だけではなく、工業、医療といった分野でも熱視線を浴びる「バイオエコノミー」への参入は、欧米・中国でも、国レベルの戦略となっています。
日本国内でも今後どのような企業が参加していくのか、注目したいところです。
*1 出所)「産学官連携ジャーナル 2019年12月号」科学技術振興機構
*2 出所)「スマートセルインダストリーの可能性」経済産業省資料 p3
*3 出所)「スマートセルインダストリーの可能性」経済産業省資料 p2
*4 出所)「スマートセルインダストリーの実現に向けた取組」経済産業省資料 p1